本件は、VHH抗体に関するものであった。原請求項1の記載に基づき、本件は、相補性決定領域CDRが、アミノ酸配列がSEQ ID NO.1~8のいずれかで示されるCDR1と、アミノ酸配列がSEQ ID NO.9~16のいずれかで示されるCDR2と、アミノ酸配列がSEQ ID NO.17~23のいずれかで示されるCDR3を含むことを限定していた。即ち、本件の最初の保護範囲には、8*8*7=448個の抗体が含まれていた。本件はオーストラリア特許庁に出願された。
オーストラリアでの1回目の拒絶理由通知書において、審査官は、原請求項の保護範囲は広すぎ、明細書にサポートされていないとみなした。その理由として、「明細書には、8つの抗体の結合能力のデータのみが例示的に示されているが、請求項1では異なるCDRを任意に組み合わせた多数の抗体に言及しており、これらの抗体の結合能力及び効果を予測することは難しい」とした。そして、これに基づき、明細書で言及している8つの抗体のみを含むよう保護範囲を制限することが出願人に要求された。
クライアントは、最初の応答指示において、「今回の拒絶理由は進歩性には言及しておらず、主として請求項の保護範囲が広すぎるために明細書にサポートされていないとの問題に言及しているため、請求項1を削除してもよい」と述べた。
クライアントは最大限の保護範囲を獲得することを求めなかったが、当所の代理人は、今回の応答で最大限の保護範囲を獲得するようクライアントを説得したいと考えた。理由としては、第一に、応答の機会を無駄にしたくなかったからである。今回は1回目の応答であり、仮に主張理由が審査官に認められなかったとしても後悔は残らず、その後の審査官との更なるやり取りに影響が及ぶ恐れもなかったため、ベストを尽くしたいと考えた。第二に、専門スキルのレベルアップを図りたかったからである。代理人であれば、新規性及び/又は進歩性を有さないとする拒絶理由には度々遭遇するため、新規性及び進歩性に関する状況については豊富な応答経験と応答戦略を持ち合わせている。しかし、新規性・進歩性以外の各種問題(例えば、サポート要件違反、不明瞭、純粋な知的活動等)については個別に突破口を見い出さねばならないため、今後の応答の参考とすべく、実行可能な応答案を蓄積する必要があった。よって、これはよい訓練の機会と言えた。そこで、代理人は、その後のクライアントとのやり取りの中で、請求項を補正することなく、できるだけ広い保護範囲の獲得を試みるよう提案した。この提案はクライアントに受け入れられた。
国外の法律事務所とのやり取りの中で、その法律事務所の弁護士は、実験データを補足することでその他の抗体の結合能力を説明するのが有効であると明言したが、クライアントは手元にその他の抗体の結合能力についての実験データを保有していなかった。そこで、「保護範囲が広すぎる」との問題の議論について、我々は、「当業者は、明細書に示されている情報及び一般的な技術手段から、請求項1に含まれる抗体がいずれも所望の結合性質を有していることを十分に予測可能である」と述べざるを得なかった。これが、本件の難点となった。応答案は下記の通りであった。
(1)原明細書の情報に基づき、「合理的予測」を主張した。表を用いて実施例中の8つの抗体における各CDR領域のアミノ酸配列を整理することで、審査官に対し、「抗体Aと抗体Bは同じCDR3配列を有しており、CDR1とCDR2は異なっているが、2つの抗体は類似の結合能力を有している。同様に、抗体Cと抗体Dは基本的には同じCDR1領域を有しており(1つのアミノ酸だけが置換されている)、CDR2とCDR3は異なっているが、2つの抗体は類似の結合能力を有している。また、抗体Eと抗体Fは基本的に同じCDR2領域を有しており(2つのアミノ酸だけが置換されている)、CDR1とCDR3は異なっているが、2つの抗体は同様に類似の結合能力を有している。実施例の8つの抗体における各CDR領域の配列分析から明らかなように、いずれか1つのCDRを変化させないよう維持し、残り2つのCDRを変化させた場合、本件の抗体の結合性能は大きく損なわれることがない」との規則を視覚的に示した。
(2)権利化されているオーストラリア特許を例示して、広い保護範囲を付与することの実行可能性について説明した。類似の抗体に関するオーストラリア特許の出願書類及び授権書類を検索、閲覧及び分析した結果、オーストラリア特許庁の場合には、「請求項が明細書にサポートされているか否か」の審査基準がやはり比較的厳しいことがわかった。大多数の案件の授権書類には、出願人が最終的に妥協して、保護範囲を明細書の実施例におけるいくつかの抗体に縮小したことが示されていた。しかし、少数の授権特許では、抗体の保護範囲が明細書の実施例に例示されている抗体の範囲を遥かに超えていた。そこで、最終的に、代理人は代表的な4つのオーストラリア授権特許を例示した。また、当然ながら、審査官の業務量を軽減するために、我々は4つの授権特許について簡単な分析を行った。これにより、審査官に対し、「『CDRの組み合わせにより定義される抗体』に特許権を付与し、且つ、授権範囲が明細書の実施例に例示されているいくつかの抗体よりも遥かに広いというケースについて、オーストラリアには前例がないわけではない。同時に、これら特許の授権範囲は、CDRの組み合わせにより定義される抗体が所望の結合性能を有することを当業者が実施例に基づき予測し得る旨を側面的に意味している」との点を証明した。
最終的に、1回目の応答後に、審査官は上記の応答意見を認めて本件に権利を付与した。